1995年10月:No.1995―8

『日本における貸し渋り』

                           特別研究官(神戸大学教授) 本多 佑三
                            第二経営経済研究部研究官 河原 史和
                                     研究官 小原 弘嗣
問題の所在
 1990年代は株価大暴落で始まった。株価が下がり始めてから5年8か月たった1995年8月現在、日本経済は不況から抜け出せず、依然低迷している。各経済指標が悪化する中で、1994年1月以降は4月を除くと、全国銀行貸出残高(月末残高)が前年同月比で減少するという深刻な事態となっている。
 本報告の関心は、この貸出伸び率の近年の急激な低下をどう見るかにある。一方において一部マスコミや民間研究機関などでは、金融機関が抱える多額の不良債権が金融機関の貸し渋りをまねき、日本経済が現在の不況から抜け出せない原因になっている、という主旨の主張がある。
 もうひとつの見方は、貸金の需要側からの説明である。実物経済が大変大きな変動の(下降局面あるいは)底を這う局面にある。このため、実物投資需要が不足し、銀行貸出に対する需要が伸び悩んでいる、という解釈である。
 そこで、BernankeandLown(1991)などにならい、本報告における問題意識はふたつある。第一に、金融機関による貸し渋りはあるのか。それが近年の銀行貸出の伸び悩みの原因となっているのか。第二に、もし金融機関による貸し渋りがあったとして、それが実物経済にどの程度悪影響を与えているのか。この2点である。

分析の枠組み
 第一の問題については、すでに吉川ほか(1994)および経済企画庁(1994)が単年度の個別銀行に関するクロス・セクション・データを用いて回帰分析を行っているが、両者の結論は異なる。そこで、その後に利用可能となった情報をパネル・データとして有効に使い、より頑健な結論を目指した。また、いろいろな角度から問題を分析した方が、問題の本質により迫れると考え、マクロ四半期データをも分析した。
 第二の問題については、利用可能なデータが限られている等の制約から、必ずしも満足のいく分析はできなかったが、ひとつの試論として報告する。地域別のマクロ・パネル・データを利用し、金融機関の自己資本比率が各地域別鉱工業生産に与える影響を調べた。

結論

  1.  マクロ四半期データ分析においては、自己資本比率規制は都銀・地銀・長信銀・信託の貸出に対し、強くはないがしかし有意な影響を与えている。これに対し、不良債権比率の代理変数として用いた手形取引停止処分者負債比率(手形取引停止処分者負債/全産業負債)は、有意な効果をもたなかった。
  2.  個別銀行に関するパネル・データの分析においては、自己資本比率規制国際統一基準が適用されている銀行のみを分析対象とした。都銀・長信銀・信託の大手行と地銀・第2地銀とでは、分析結果が異なる。大手銀行については、自己資本比率及び公表された不良債権比率の2変数がともに貸出伸び率に影響を及ぼしている。しかし、これらの影響はいずれも弱い。他方、これら2変数の地銀・第2地銀への影響は、ほとんどない。ただし、地銀・第2地銀より公表された不良債権は、「破綻先債権」のみなので、この結果だけからただちに不良債権の地銀・第2地銀の貸出への影響はなかった、ということにならない。
  3.  地方別鉱工業生産への影響については、自己資本比率のデータ作成方法などにおいてかなり粗い分析となっているため試論の域を出ないが、一応の結論としては、銀行の自己資本比率の鉱工業生産への影響はほとんど認められない。
解釈
 マクロ四半期データの分析結果と、個別銀行に関するパネル・データの分析結果は、ふたつの点で共通している。第一に、自己資本比率や不良債権比率といった金融機関側の問題が、貸出伸び率を低く抑えた可能性を示唆した。第二に、こうした貸出の供給側の要因による貸出伸び率への影響は、必ずしも強いものではない。この後者の結果はさらに、貸出の供給側の要因が鉱工業生産に与えた影響はほとんどなかった、という第3の結論とも整合的にみえる。
 他方、マクロ四半期データの分析結果が、個別銀行に関するパネル・データの分析結果と異なる部分もある。これらは主に、計測期間およびデータのとり方の違いによるものとみられる。

インプリケーション
 貸し渋りの存在は、一般的にいって金融政策の運営を難しくする。こうした一般的問題とは別に、現行の自己資本比率規制には次の問題がある。
 株価(TOPIX)及び鉱工業生産指数の時差相関係数を計算すると、トレンドを除去した場合で0.29、トレンドを含めた単純な場合で0.84という高い正の相関があることが分かる。この正の相関のために、現在のように景気が悪い時には、株価も低落傾向を示す。株価が低いと株式含み益が小さくなり、銀行の自己資本比率が下がる。(現行制度においては、有価証券含み益の45%が自己資本の補完的項目(Tier2)として認められている。)自己資本比率の低下は、既述のとおり、貸出を抑制するので景気をさらに悪化させる。逆に、景気が良い時には、株価も高くなる傾向があるため、含み益が増大し、自己資本比率が高まる。したがって、より多くの貸出を誘発し景気をさらに過熱する恐れもある。つまり、現行制度のように、株式含み益を自己資本比率規制に組み込むことが、実物経済の変動を増幅する効果をもちうる。こうした増幅効果は好ましくないので、機会をとらえてこの点を改善することが望まれる。同様の指摘は、例えば翁(1992)にもみられる。

用いた手法
 単位根検定、共和分検定、時差相関関数、パネル・データ分析、ブートストラップ法